愛国心教育について 


 今日は愛国心教育についてなんか書く。 まだ基本法ができた段階だから具体的にどんな感じの教育になるのか知らないが、僕としては、「愛国心」を教え込むのは賛成しない。 ここで勘違いしないでもらいたいのは、僕は「愛国心を持つこと」自体は、とても重要なことだと思うよ。 僕は味噌が好きだ。ごはんが大好きだ。オムライスが好きだ。 俳句が好きだ。ファミコンが好きだ。漫画が好きだ。 松の木が好きだ。アニメが好きだ。相撲が好きだ。 焼き魚が好きだ。鈴虫の鳴き声が好きだ。 おでんが好きだ。勤勉な国民が好きだ。 生活の中で感じられる、あらゆるニッポンが大好きだ。 (一言言っておくと、「日本の戦争が正しい」ということと、愛国心を持つことは、まったく別だからな。それから、「左翼」である、ということと、「愛国心を持たない」ということもまったく別だからな。その辺、勘違いしているやつ多すぎ)
んで。
要するに、「愛国心」って学校で教えるもんじゃないだろうってのが僕の持論だ。 「愛国心」を通知表で評価すれば、愛国心がつくわけじゃないだろう。 教育勅語を暗誦させれば、愛国心がつくわけじゃないだろう。 むしろ、かえって「何でこんなわけわかんないもの暗誦させなきゃいけないんだ、この国の教育はおかしいぜ」 って自然と反発心が芽生えて、かえって愛国心を阻害するぜ? 愛国心を育むためには、何よりも、自然と愛情がわいてくる国づくりをするのが第一じゃないですか? 労働者は企業の奴隷で残業代も払わなくなっても増税、大企業はウハウハ儲けても減税、為政者は外国から献金もらう売国奴、 賢くてやる気のある子でも貧乏な家で生まれればろくな教育も受けれずに一生底辺、アホでも政治家の家に生まれれば衆議院議員の座が約束される、 ってそんな状況の国を作ろうとして国を愛せってどうなのよ
ええと、でもこれだけじゃつまんないから。 俺的正しい愛国心をつけさせるための教育 まず、今の「年号と用語をひたすら暗記させる歴史教育」をやめさせる。 荘園とか大化の改新とか覚えて何になるんだ? そんなことより、英雄を教えろ。 信長を、義経を、竜馬を教えろ。 てゆうか、ペリーがくるまでは義経と信長と秀吉と家康さえ知っていればいいよ。 そして、ペリーが来てから現在までの歴史を徹底的に教えろ。 19世紀後半、近隣の国が列強にどんどん植民地化されていく恐怖の中、 いかにして日本をどっかの植民地にさせないように悩んで悩んで悩みぬいた者たちの苦悩をとことん教えろ。 西欧に取り込まれないよう、必死で勉強して西欧に対抗した明治初期の先人の努力を教えろ。 とにかく、日本が有色人種で唯一先進国の仲間入りをしているのは偶然と多大なる努力の結果っつーことを教えろ。 そのような努力を昭和初期に思考停止した結果、どれほどの悲劇が繰り広げられたかも教えろ。 第二次世界大戦以後の歴史もきっちり教えろ。 歴史が、今につながっていること、これからの歴史は君たちが作ることを教えれば、きっと子供たちは今よりかはずっとやる気になる。と思う。
それから。これは今すぐ学習指導要綱を改定してほしいのだが。 古典を教えるのやめなさい。 学校で教えるもので、古典ほど無意味なものねーぞ。 意味不明でわけわからん暗号を押し付けられるときに感じる生徒が感じる反発は、紅白歌合戦で演歌になった瞬間にチャンネルを変えるのと同じく、自然なものだ。 あれで、「昔の日本」そのものに反発を感じてしまう人結構いると思う。それはよくない。 しかも、古文の内容の意味が分かってしまったら、昔の日本の支配者階級がどうしようもなくアホでしたってことが子供たちにばれちゃうじゃないか。 源氏物語なんかをありがたがってる教師を見たら、 大人は古文を素晴らしいと言っている。 しかし、古文の中身はくだらない 要するに、大人はくだらないものが大好きだ なんて、素晴らしすぎる三段論法が完成してしまうじゃないか。 漢文を教えるなんてもっての他だ。 平安時代の「日本文学」を教えた後に史記なんて教えた日には、日本が脳みそサイゴン陥落していた千年も前の中国の方が遥かに知的レベルが高かったことがばれちゃうじゃないか。 そんなことは一切やめさせなければならない。 古い=無条件に素晴らしい なんてあほなことを信じている爺様方の価値観に付き合う必要なんてない。 「古い日本を愛すること」と「愛国心」がごっちゃになっているのも、問題がややこしくなってる原因のひとつだと思う。

トップへ